#60 AIがもたらす経済の未来と「老後資金」という考え方

07雑記メモ

こんにちは。神戸・西宮・尼崎・伊丹・宝塚・川西・猪名川など、兵庫県の阪神地域を中心に活動している行政書士の小田晃司です。在留資格(ビザ申請)を中心に、相続・遺言・成年後見など、いわゆる終活まわりのご相談を日々お受けしています。

今回はAIについて考えたことを書きます。

はじめに:変わりゆく「老後」の前提

AIの進化は私たちの働き方や経済の仕組みそのものを大きく変えるのではないか、という議論が増えています。こうした話題に触れるたびに、「老後」や「将来の安心」について、これまで当たり前だと思ってきた前提は、この先も通用するのだろうかと考えさせられます。

特に注目を集めているのが、AIやロボットの普及によって「人が働かなくても生活できる時代が来るのではないか」という見方です。

イーロン・マスク氏の提唱する未来像

2026年1月17日午後3時、Money Insiderというサイトに「イーロン・マスク『退職後のために貯蓄するのは無意味になるだろう』」という記事が掲載されました。この記事では、マスク氏が提唱する「AIによる豊穣の時代」と、それに伴う従来の「老後資金」の概念の変化について述べられています。

マスク氏の主張は以下の4点に整理できます。

1. 「豊穣」による労働の終焉

AIとロボット技術(テスラの「Optimus」など)の進化により、将来的に商品やサービスのコストが極限まで下がり、誰もが望むものを手に入れられる「豊穣の時代」が来る。この世界では、生きるために働く必要がなくなる。

2. 従来の貯蓄観への疑問

もしAIがすべての労働を代替し、ベーシック・インカム(あるいは「ユニバーサル・ハイ・インカム」)が実現すれば、現在多くの人々が必死に行っている「老後のための蓄え」は意味をなさなくなる可能性がある。

3. 経済システムの再定義

資本主義の仕組みそのものが根本から変わる可能性がある。資産を蓄積することよりも、AIが生成する価値をどのように分配し、人間が何に価値を見出すかが重要になる。

4. リスクと不確実性

このビジョンはマスク氏の楽観的な予測に基づいており、実際にはAIによる失業や格差の拡大、社会保障制度の崩壊といった深刻なリスクも懸念されている。

「老後資金」という考え方はどうなるのか

こうした未来像の中で問われるのが、「老後資金」の位置づけです。もしAIが多くの労働を代替し、ベーシック・インカムのような制度が実現した場合、従来のように個人が長期間にわたって老後の生活費を蓄える必要性が低下するのではないか、という指摘があります。

これは「貯蓄が不要になる」と断定するものではありません。しかし、働くこと、収入を得ること、老後に備えることといった考え方の前提が変化する可能性がある、という問題提起といえます。

現実に指摘されているリスク

もっとも、こうした未来像は楽観的な予測に基づく側面もあります。現時点では、AIによる雇用の減少、収入格差の拡大、社会保障制度が変化に追いつかない可能性など、現実的な課題も多く指摘されています。AIが生み出す価値をどのように社会全体で分配するのか、制度設計の議論はまだ途上にあります。

現実の相談の現場では、老後資金への不安、年金や貯蓄に関する悩み、「将来が見えない」という声は依然として多く聞かれます。AIによる経済変化が実際にどの程度のスピードで進むのか、また、社会制度がどのように対応していくのかは、まだ見通せない部分が大きいのが実情です。

筆者として考えていること

ここからは、あくまで私自身の考えです。

安心の源泉が変わる可能性

AIの進化によって社会の仕組みが大きく変わるとしたとき、私が最も重要だと感じているのは、「貨幣を溜め込むことが、そのまま安心を保証する世界ではなくなるかもしれない」という点です。

これまで私たちは、年金、退職金、個人の金融資産といったものを積み上げることで、将来の安心を確保しようとしてきました。いわば「自助」を前提としたモデルです。

しかし、もしAIが膨大な価値を生み出し、その富を社会全体で分配する仕組みが整うのであれば、安心の源泉は「個人がどれだけ持っているか」から「社会がどう設計されているか」へ徐々に移っていく可能性があります。

「非金融資産」の重要性

つまり、これからの時代においては、「富」や「老後資金」の意味自体も、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

これまでのように、お金(通貨)だけを蓄えることよりも、信用、人とのつながり、健康、環境の変化に適応する力といった、数値化しにくい「非金融資産」が、結果として人生後半の安心を支える要素になる場面も増えていくように思います。

AIが生み出す富の分配設計や、ベーシック・インカム(UBI/UHI)の議論は、まさにその象徴だと感じています。

AIの限界について:息子との対話から

実はこの点について、大学で生物理工を専攻している息子と話をする機会がありました。

研究の世界には、大きく分けて「ドライ」と「ウェット」という考え方があるそうです。シミュレーションや計算を中心に進めるドライな研究であれば、AIの予測や判断が極めて有効に機能する場面も多いでしょう。

一方で、実験や観察を通じて進めるウェットな研究の領域では、まだまだ人間が手を動かし、試し、失敗するプロセスが欠かせないという話でした。

私たちは生物であり、有機物です。計算や数値だけでは推し量れない反応や、実際にやってみなければ分からない現象が、今なお数多く残っています。

そう考えると、社会のあらゆる判断や営みを、すべてAIに委ねる未来がすぐに訪れる、という見方には、やや距離を置いて考える必要もあるように感じています。

最も危険な「過渡期」をどう捉えるか

もう一つ重要だと感じているのは、マスク氏が語る未来は、あくまで「ゴールの姿」だという点です。

問題は、そこに至るまでの数十年にわたる「過渡期」です。この過渡期こそが、最も不安定で、不確実性の高い時代になる可能性があります。

AIの普及と制度設計のスピードが噛み合わなければ、インフレの進行、雇用構造の急激な変化、社会保障制度の見直しが追いつかない状況といった事態が起こることも、十分に考えられます。

だからこそ、「将来は大丈夫だから、今の備えは不要」と完全に否定してしまうことにも、私は慎重でありたいと感じています。

もちろん、マスク氏が描く未来がすぐに実現するとは限りませんし、制度設計には多くの課題があります。ただ、「将来も今と同じ前提が続く」と無意識に思い込むこと自体は、一度立ち止まって考えてもよいのではないでしょうか。

最後に:人間は何者であるのか

こうして考えていくと、この議論は単なる経済やお金の話では終わりません。最終的には、「人間は、働かなくなったあと、何者であるのか?」という問いに行き着くように思います。

仮に、生活のために働かなくてもよくなったとき、人は何によって自分の存在価値を感じて、幸福でいられるのでしょうか。

岸見一郎氏と古賀史健氏による著書『嫌われる勇気』では、
アルフレッド・アドラーの心理学をもとに、
「幸福とは、他者からの承認を求めることではなく、自分が仲間に貢献できていると実感できることだ」
と語られています。

もしこの考え方を踏まえるなら、
AIによって労働の意味が変わったとしても、
人が幸福を感じる条件そのものが失われるわけではないので、

「仲間に貢献できていると実感できてる何か」を残さないと悲惨な未来になってしまう気がしています。

誰か、あるいは何かを支えること。
自分の経験や想いを、次の世代に語ること。
何かを創り出し、人と人をつなぐこと。

社会に貢献すること。

もしかしたら非効率で、数値化しにくいものばかりが残るかも知れませんが、
しかし、だからこそAIには代替しきれず、
人が人として生きるうえで欠かせない営みとして残っていくのではないかと感じています。

老後資金や終活を考えることも、
単に「いくら必要か」を計算する作業ではなく、
これから先、どのように社会と関わり、どのような役割を果たして生きていきたいのか
を見つめ直すことなのかもしれません。

私は、技術の進歩を冷静に見つめながら、同時に「自分の人生をどう設計するか」を考えることが、これからの時代にはますます大切になると感じています。

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